「札幌農學校」が
私に菓子店経営のバランスの
大切さを教えてくれた。

北海道札幌市

きのとや

代表取締役会長

長沼 昭夫

札幌農學校(ミルククッキー)

内山 長沼会長にとっての一生一品は、やはり「札幌農學校」でしょうか。

長沼 やはり、そうなりますね。「札幌農學校」が私の人生を大きく変えてくれました。私は大学を卒業してから職業を転々として、35歳でお菓子屋を始めました。それまでお菓子とはまったく無縁で、もちろんお菓子はつくれません。お菓子屋さんのことは何にも知らないで始めたからこそできたのだと思います。採算が取れないのは見えていましたから。

内山 それでも開店されて、バースデーケーキの宅配で大成功されました。お菓子のことをまったく知らない素人がなぜ大成功をおさめられたのでしょうか。

長沼 幸い私は自分でお菓子をつくれないので、お菓子をつくるパティシエには結構うるさく言います。自分でつくる人はどこかで妥協しないと自分を否定することになるから絶対に妥協しなくてはならないのですが、私には妥協はありません。無責任に思いだけを言い続ける、要するに最強の消費者なのです。私の周りで力を貸してくれた人たちは、私がダメ出しすればするほどいいものをつくるのです。本当に人間の能力というのは無限だなと感心しました。1店舗で11億5,000万円まで売りましたから、ケーキのデリバリーは大成功だったかもしれません。しかし、会社としての利益率はものすごく低く損益分岐点ギリギリぐらいで儲からなかったのです。そして、ある意味の限界点が来ました。
生ケーキづくりは手作業だから、売り上げが上がればコストも一緒に上がっていきます。忙しいばかりで利益が出ない。

内山 それを打開してくれたのが「札幌農學校」だったのですね。このお菓子ができるきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

長沼 北海道大学の前身は札幌農学校で、札幌農学校といえばアメリカから来て酪農を教えた“クラーク博士”が有名です。私は北海道大学の出身なのですが、昔、大学の正門前に“クラーク饅頭”というお菓子を売っているお菓子屋さんがありました。しかし、それがいつの間にかなくなってしまったのです。大学にまつわるお菓子がひとつもないのは寂しいと思いました。考えてみたら、北海道大学を卒業してお菓子屋をやっている人ってあまりいないから、じゃあ僕がつくるしかない。簡単に言えばそんな発想でできたお菓子です。北海道らしいミルククッキーという切り口を提案したら、大学の方もそれはいいねと言う話から、大学の許可を頂いて、「札幌農學校」という名前で売り始めました。この菓子は最初から売れました。今でも覚えています。最初の発売が北海道大学の入学式でした。どの程度反応があるかよくわからなかったので、とりあえず1,000箱を用意しました。そうしたらあっという間に売れてしまいました。

経営していく上で、思いっきり人手をかけて価値をつくっていくものもあると思います。しかし、それだけでは経営として弱い。生のケーキは売れても利益が出ない、「きのとや」の前半はそうでした。すごい繁盛店でしたが利益も出ていないし忙しいだけで大変でした。
一方で「札幌農學校」のようなお菓子を開発したときには、数が売れないうちにはそんな力は出ないのだけれども、売れれば売れるほど利益が上がってくる。両方のバランスがとても大切なのです。ようやくいいバランスになりました。
「札幌農學校」は最初から「スチームラックオーブンZEN」で焼いていますが、とても効率が良いですね。トンネルに負けない生産性とそれを超えるクオリティがあります。口の中でとても香りが良く、素朴で飽きない絶妙な焼き加減に仕上げてくれます。
経営もそうですが、商品も「南蛮窯」で焼くお菓子と「ZEN」で焼くお菓子、両方が必要です。バランスがとれてこそ本当の力になる、「札幌農學校」は私にそれを教えてくれました。

材・ライティング

七洋製作所 代表取締役社長
内山 素行(うちやま もとゆき)

小さな頃から空手を学び、その上達とともに空手の魅力に引き込まれる。空手道の全日本大会で3度の日本一となる輝かしい経歴を持つ。空手で会得した相手との技の駆け引きや、間合いの読みはビジネスの極意にも通じる。時代を読み、常に新たな展開を提案する内山氏は、菓子業界で“菓子店の羅針盤”と呼ばれ、菓子づくりを志す職人が認めるオーブン「バッケン」を製造販売する株式会社七洋製作所の代表取締役社長をつとめる。自らの発想でつくりあげたオーブンは、日本の通商産業省が設立したグッドデザイン賞を3回も受賞する快挙を成し遂げた。1956年、日本国 福岡県生まれ。

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