初めて“シュークリーム”を
食べた時の感動が忘れられない。
その感動が洋菓子職人としての私の原点。

兵庫県神戸市

ケーキハウス ツマガリ

代表取締役社長

津曲 孝

シュークリーム

津曲 私は今まで長い間、菓子職人として何百というお菓子をつくってきましたが、一生の中で一品だけお菓子を選ぶとすれば“シュークリーム”を選びます。

内山 津曲社長がつくりあげた“クッキー”の世界観は、誰もが認めるたいへん素晴らしいものです。ですから津曲社長の“一生一品”は“クッキー”だと思っておりました。あえて津曲社長が“シュークリーム”だとおっしゃる理由はどのようなところにあるのでしょうか。

津曲 それは、“シュークリーム”が私をお菓子の世界にいざなってくれたからです。“シュークリーム”との出会いは私が17歳の時でした。実を言うと私は菓子職人になろうなどとは、夢にも思っていませんでした。15歳で宮崎から東京へ出て、最初は荷物を運ぶ仕事から始めました。その運送会社に私のことを随分と気に入ってくれた上司がいたのですが、ある日その上司が「自分は将来お菓子屋をやりたい。」ということで、私に「会社を辞めてお菓子屋で働かないか。」と誘ってきたのです。でも、断りました。まったく世界が違いましたから。洋果子のことなど何もわかりませんでしたし、洋菓子の名前も知りません。食べたことも見たこともなかったのです。
 しかし、その上司は嫌がる私を無理やり連れて行って、洋菓子の仕事にひき入れてくれました。田舎から出てきて、お菓子とはまったく無縁の世界にいた男が、東京の渋谷道玄坂上の「ヒサモト洋菓子店」というお店で働きはじめました。そのお店は今もうありませんがとても素晴らしいお店でした。
 そんなある日、工場にあった“シュークリーム”を偶然食べてとても驚きました。とてもこの世のものとは思えませんでした。それほど感動したのです。私はこの“シュークリーム”との出会いによって菓子職人への道を歩むことになったのです。

内山 初めて食べた時の感動を今、お客様に提供されているのですね。津曲社長の“シュークリーム”はどのようなものでしょうか。

津曲  “シュークリーム”を侮ってはいけません。どの店にもあるお菓子だからお客様はわかりやすいのです。ありふれたものだからこそおいしければお客様はその店はおいしいと評価します。ですから、私の“シュークリーム”は、稼ぐお菓子ではなく、お客様を味方にするお菓子です。

内山 なるほど、“シュークリーム”がお客様を呼ぶということですね。

津曲 私は“シュークリーム”が焼き菓子だと思っています。

内山 それは、“シュークリーム”がしっかりと焼いた皮の風味とカスタードの風味を合わせるものだから、焼き菓子とおっしゃるわけですね。

津曲 そうです。焼いて味を付けること、つまり、“焼きの味付け”というものがあると思います。本当に腕のある人はシューの皮に“焼きの味付け”ができるのです。クッキーも同じです。クッキーの配合はそうかわるものではありません。私の店のクッキーがおいしいと評価いただけるのも“焼きの味付け”ができるからです。バッケンは“焼きの味付け”ができるオーブンです。何をおいても炉内がきっちりと密閉されて水蒸気を漏らさない強い加圧が得られるという、オーブンの基本がしっかりしているからできるのです。
 これから専門店が生き残って行くには、菓子の価格を安くするのは間違いで、付加価値を上げることに努力しなくてはいけません。価格競争ではなくて味覚競争に入らないといけない。つまり値段を上げてもお菓子を買っていただけるような店にしていかなくてはならない。そのためには、きちんとした焼成力を持つバッケンが力になるのです。

内山 私どもも、オーブンにさらなる付加価値をつけるようにパティシエのみなさまとともに努力いたします。

材・ライティング

七洋製作所 代表取締役社長
内山 素行(うちやま もとゆき)

小さな頃から空手を学び、その上達とともに空手の魅力に引き込まれる。空手道の全日本大会で3度の日本一となる輝かしい経歴を持つ。空手で会得した相手との技の駆け引きや、間合いの読みはビジネスの極意にも通じる。時代を読み、常に新たな展開を提案する内山氏は、菓子業界で“菓子店の羅針盤”と呼ばれ、菓子づくりを志す職人が認めるオーブン「バッケン」を製造販売する株式会社七洋製作所の代表取締役社長をつとめる。自らの発想でつくりあげたオーブンは、日本の通商産業省が設立したグッドデザイン賞を3回も受賞する快挙を成し遂げた。1956年、日本国 福岡県生まれ。

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