素直なお客様の目線が
私のパティシエ人生を
大きく変えてくれました。

千葉県習志野市

ル・パティシエ ヨコヤマ

代表取締役

横山 知之

谷津干潟のたまご

内山 横山社長にとっての“一生一品”として、どのようなお菓子をご紹介いただけますでしょうか。

横山 そうですね、「谷津干潟のたまご」でしょうか。発酵バターの香りがいい濃厚なプチマドレーヌです。

内山 とても素朴なお菓子ですね。横山社長はずっとホテルでご修行されていましたので、繊細で華麗なお菓子かと勝手に想像していました。

横山 私のパティシエ人生は大阪のホテルプラザをスタートに、ホテルオークラ、ホテルニューオータニ、最後に幕張にニューオータニがオープンするので移って、ずっとホテルのお菓子一筋でした。自分でお店を持つまでは町場のお菓子屋さんで働いたことはありませんでしたから、ホテルを退職してお店を開店したら、当然そこで出すお菓子にはホテルのお菓子のイメージが残るはずです。しかし、うちのお菓子にはホテルのイメージはあまりないと思います。

内山 そうですね。品揃えも、シュークリームやロールケーキ、カステラなどとてもデイリーなアイテムが並んでいますし、ピースも大きいですね。典型的な町場のお菓子屋さんです。しかし、なぜ、長い間ご修行されたホテルの洗練されたお菓子ではないのでしょうか。

横山 それは、私がホテルにいた頃に出演させていただいた“テレビチャンピオン”というテレビ番組がきっかけでした。

内山 横山社長が3連覇されたことを私も覚えております。

横山 確かに勝たせていただいたことにも意味はありましたが、それ以上に、そこで学んだことが私の人生を大きく変えました。
その番組でお菓子の審査をするのは一般の方でした。私たちの経験するほとんどのコンクールはプロがプロを審査します。あの番組は唯一アマチュアがプロを審査する場だったのです。子供さんから高校生、そしてお年寄りまで幅広い世代の一般の方の目線でプロを審査するのです。ですからプロの目線でやると負けてしまうのです。
 私が一番強く印象に残っているのは、あるパティシエがイチゴのタルトをつくったのですが、凄く“てんこ盛り”にイチゴが乗っかっていて、ジャムなんかは“ドバッ”と言う感じでたっぷりすぎるくらいでした。別のパティシエはとても見事に美しい飴細工をつくって乗せました。普通、審査員がどちらを選ぶかといいますと、私たちプロは絶対に飴細工の方なんです。でも一般の審査員はイチゴが“てんこ盛り”でジャムが“ドバッ”としているものを選んだのです。とても素直な目線でした。それを見た私は、「一般の方の目線って、こういうことなんだ。」と強く衝撃を受けました。そこから私のお菓子づくりは大きく変わりました。
 私には、“これが私のお菓子だから食べてくれ”みたいなスタンスはありません。お客様が何を求めているかということを探して、それにお応えできるものをなるべくつくろうという想いだけが強くあります。ですから、お店を出すときには、ご来店されたお客様に喜んでいただくお菓子にしか興味がありませんでした。この「谷津干潟のたまご」は確かに素朴なお菓子です。しかし、このお菓子の名前にある“谷津干潟”は、毎年たくさんの水鳥が飛来して旅の途中に羽を休める場所で、地元の皆様にとってもたいへん大切な場所です。地元の皆様が大切にしているものを私も大切にしたかったのです。「谷津干潟のたまご」は開店以来ずっと、販売数トップスリーに入っています。

内山 「谷津干潟のたまご」は横山社長のお菓子づくりの象徴なのですね。人気の繁盛店の秘密がわかったような気がします。ところで「バッケン」はお役に立っておりますでしょうか。

横山 はい。やはりいいオーブンからはいい商品ができますよね。お客様目線で評価されるお菓子、素直に食べておいしいお菓子が焼けますね。

材・ライティング

七洋製作所 代表取締役社長
内山 素行(うちやま もとゆき)

小さな頃から空手を学び、その上達とともに空手の魅力に引き込まれる。空手道の全日本大会で3度の日本一となる輝かしい経歴を持つ。空手で会得した相手との技の駆け引きや、間合いの読みはビジネスの極意にも通じる。時代を読み、常に新たな展開を提案する内山氏は、菓子業界で“菓子店の羅針盤”と呼ばれ、菓子づくりを志す職人が認めるオーブン「バッケン」を製造販売する株式会社七洋製作所の代表取締役社長をつとめる。自らの発想でつくりあげたオーブンは、日本の通商産業省が設立したグッドデザイン賞を3回も受賞する快挙を成し遂げた。1956年、日本国 福岡県生まれ。

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