Vol.46
新しい海を目指す

明けましておめでとう御座います。
このエッセイは昨年11月にパリで開催されたサロンドショコラを視察した飛行機の中で書いております。日本人パティシエが世界に挑戦して活躍している姿にとても嬉しく、また誇らしく感じられる良い視察となりました。

母への思い

今回の目的はもう一つありまして、88歳になる母と一緒に初めてパリを回る旅でもありました。実は母は3か月前自宅のベッドから落ち大腿骨を骨折し、大きな手術を受けました。年齢的にもこのまま寝たきりになってしまわないかと大変心配致しました。その時母と交わした約束が「足が治ったら一緒にパリのサロンドショコラを見に行こう」でした。この言葉に母は、手術や過酷とも言えるリハビリにも励み、その驚異的な回復力は担当医も驚くほどでした。パリではモンサンミッシェルの修道院の急な階段や坂道を杖も使わずに歩き切り、ブリュゴーニュ地方のワイナリーなどの見学もとても元気に一緒に行くことが出来ました。
今の七洋があるのは母のお陰といっても過言ではありません。父が創業した七洋製作所は2度の倒産を乗り越え、現在に至っております。母の苦労は子供心にも理不尽だと感じるほど大変なものでした。「親孝行したいときには親はいず」という言葉がありますが、私の隣の席で寝息を立てている母を見ていると本当に神様に感謝という気持ちになります。そして、手術やリハビリに挑戦し、それを乗り越えた母には本当に頭が下がります。

福岡の名店のパン屋さんシモン

シモンの平田社長は、偶然にも母と同い年の88歳です。まだまだ現役でそのお元気なお姿は63歳の私にまだまだ若造頑張れといわんばかりに、その後ろ姿で教えてくれます。私は昔からシモン様のソフトフランスが大好きで、日本人に合ったフランスパンの典型だと思っておりました。昨年、セブンというパン用のオーブンを導入していただき、今まで使用されていたヨーロッパのオーブンとの焼き上がりの違い(浮の良さ、ムラ火の無さ)に感動され大変満足をしていただきました。そんな折、平田社長が長い年月かけて開発されたソフトフランスのミックス粉が完成しました。このミックス粉とセブンの合わせ技で、非常に難しいソフトフランスを誰もが平田社長と同じように焼くことができるようになりました。平田社長の「このソフトフランスを全国に広めたいという思いを受けて、私はこのミックス粉を「パン オ パッション(パンの情熱)」と命名しました。そして全国のパン屋さん洋菓子屋さん、和菓子屋さんに七洋から販売させていただくことになりました。これは七洋の新しい挑戦です。
東京、大阪、福岡の南蛮塾で技術指導もできます。また、平田社長のご体調に合わせて全国で講習会を開催いたします。

企業存続の原点

昔、日経新聞に「会社の平均寿命は30年という記事がありました。なぜ会社は衰退していくかということを考えてみると、やはり市場の動向の変化と製品のマンネリ化ではないかと思います。
このエッセイのタイトルは「新しい海を目指す」と題しましたが、弊社もせんべい屋から始まり、機械製造業に変わり、そして今では食品製造部門も着々と成長しております。当初、食品部門を作ることには反対も多くありました。機械メーカーで食品を作っている企業は、今でもほとんどありません。それが現在では会社の売上の大きな柱となっています。おかげさまで、今年でちょうど20年となりますが、あの時の挑戦が無かったらと考えると恐ろしいものがあります。
会社経営にとって一番怖いのは、次の打つ手がないときです。
トップには「現状維持は衰退であるという強い意志が必要です。商売の原点は「永遠なる顧客づくり。これに尽きるのではないでしょうか。新しい顧客ができない商売は絶対に継続できません。学校経営なら生徒を増やす。病院経営なら患者を増やす。コンビニ経営であれば来店客数を増やす。こういった努力をやり続けているところだけが生き残っていきます。
今年の弊社のソフトフランスというご提案は、お店の新しい切り口になると確信いたしております。是非ご覧ください。
今年も社員一同頑張ります。皆様方のご健闘をお祈り申し上げます。

(このブログはNANBANプレス61号に掲載されたコラムを再編集したものです。)

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