岐阜県本巣郡北方町高屋1351
フランボワーズ
電話
創業は1989年。最初は13坪のテナントでスタートする。末司氏は“地域一番店”という言葉に憧れてほとんど寝ずに働く。業績は順調に伸び北方店、島店の2店舗を経営。二代目の潤司氏が修業を終え実家にもどった後、2018年フランボワーズ北方本店を移転オープン。潤司氏は製造現場と商品開発の責任者を任されている。
内山 潤司様は小さい時から自分はパティシエになると決めていたのでしょうか。
潤司 よく覚えていませんが、もともと細かいことをやるのが好きでしたし、それなりに器用な方だったので何か物をつくる仕事はしたいなと思っていました。中学生の頃の進路相談で、お菓子屋さんもいいなと思っていました。そして、高校生の時にパティシエを目指そうと決めて父に報告しました。
内山 ご子息がパティシエになりたいというお話を聞いていかがでしたか。
末司 それは嬉しかったけど、大変な世界だからね。父親の立場で仕事を厳しく息子に教えるのはなかなか難しいことだし。
潤司 父からは、他のお店で10年間は修業して、信頼されるシェフパティシエになれるように頑張りなさいと言われました。それから本場で学びなさいということで3年間ほどフランスへ行き、実家にもどる前には他のお店でシェフパティシエとして勤めていました。
末司 息子がフランボワーズに帰ってきてもう丸5年経ったと思います。よっぽど自分の力に自信があったのでしょう、最初はいろんなことに対してすごく不満を言っていました。
それに対して私は「不満があるのはわかったが、とにかく待ちなさい。すぐには何も変わらないよ。だからまず自分でフランボワーズがわかるように努力しなさい。お店のいろいろな面が見えて理解できてから変えていきなさい。急に180度変えようとしても誰もついてこないし、とにかく3年待ちなさい。」とずっと言っていました。
スタッフとの距離を縮めるためには、まず自分でいろいろなことを認めることが大事だと思うのです。自分の未熟なこと、自分ができないことを隠さないで認めることから始めると周りが自分を認めてくれるようになるし、そうすれば自分のやりたいことについてきてくれる。初めはみんな社長の息子だからと思っているから。
こうしたことは、私が今までやってきたことよりも大変だと思います。
潤司 父に教わったことを心がけていると、やがていろいろなことが見えてくるようになりました。このお店はできてまだ3年ですが、父と相談して無駄のない仕事の動線を十分に考えて、スタッフがより働きやすいお店をつくりました。お客様ありきはもちろんですが、スタッフの動きが良くなると商品の品質や接客にも、いい影響が出ています。
内山 たとえばどのようなことでしょうか。
末司 今回、厨房の効率化のためにスーパーバッケンを入れたのですが、お客様から「〝パリの朝市〟が美味しくなったね。」と言われたとスタッフから報告がありました。〝パリの朝市〟は一番売れているシュークリームなのですが、お客様が「何か変えたのですか?」とお聞きになるので、「オーブンを変えました。」とスタッフが答えると「オーブンを変えるとこんなに違うのですね!」と驚かれたそうです。
凄いね、わかるんだなとこちらが驚きました。スーパーバッケンで焼くと窯の力がありますからぐっとシューが浮くんですよね。しかもパリパリ感が出て皮が薄い。シューがぐっと伸びているからいつもと同じ量のクリームを詰めるとクリームが皮に触らずサクサクなんです。私も食べてみて、「確かにおいしくなっている、物が全然違ってる。」とびっくりしました。
潤司 こうしたことがあると製造も販売もスタッフのモチベーションが上がります。スタッフの気持ちをのせたお菓子をお客様に提供すること、まだまだぼんやりですが、これからのフランボワーズの進む方向が見えたような気がしました。
それから2枚差しが4段のスーパーバッケンを2台入れたので、口数が8口になりました。スーパーバッケンの正確な下火を使えば極端な話、1口ずつ違う温度帯のお菓子が丁寧に焼けます。「オーブンを空けるな!」とどんどん仕込んで焼き続けるオーブンと戦うような時代は終わって、小ロットずつ焼いて味を追求することがこれからの専門店には必要なのではないでしょうか。それが働き方改革にも確実につながります。
これからは長い間父がつくってきたすごく食べやすい菓子を大切にしながら、新しい時代の流れを追いかけた商品も開発したいと思います。
内山 スーパーバッケンのキャッチフレーズは〝次世代パワーオーブン〟です。小竹社長のますますのご活躍はもちろんですが、フランボワーズ様の次の世代にも期待しております。
取材後記
取材
七洋製作所 営業課長
内山 寛人