日本を学び、日本を越えたい。
台湾で一番の洋菓子店を
目指します。

台湾(高雄市)

其祥食品

代表者

謝 文額 様

台湾(高雄市)

其祥食品

電話 +886-(0)7-3111067

今回は、台湾で洋菓子店を経営されている、其祥食品(チンシャン)の謝社長をご紹介します。謝社長は46歳、一歩一歩ご自分の夢を実現されてきました。
会社名の「其祥」は御爺さんの名前からつけられたそうです。スタッフ150 名、拝見した店舗や工場からは、まだまだ成長する強いエネルギーを感じました。

内山 日本で東日本大震災があった時、台湾の方々から190億円以上という、世界で最高額の義援金を頂きました。これは台湾の方おひとりが、1日分の給与を寄付して援助金にしたことになります。本当にありがとうございました。心より感謝いたします。

  以前、台湾で地震があった時も日本の方々から色々な援助をして頂きましたからね。当然のことです。私は若い頃から日本からたくさんのことを学びました。ですから、被災地で今もご苦労されている方々が、一日でも早く元の生活に戻れることを願っています。

内山  ところで謝社長とお菓子の接点はいつごろでしょうか。台湾で洋菓子店を成功させた経緯をお話しいただけますでしょうか。

  はい。私は小さいころから菓子作りが好きで、故郷の菓子屋さんで修行をしてレストランのシェフパテシエをしていました。兵役が終わり、26歳の時に日本人パティシエの講習会を始めて受講しました。この時の講習にとても感動して、「日本に修行に行こう。」と決めました。
そして、大阪の菓子専門学校で学び卒業しましたが、それでも十分とは思えず、東京金町のマロン洋菓子店で修業しながら、さらに東京の専門学校にも行き、さらに磨きこみました。

内山  日本のパティシエでも、2つの専門学校で学ぶ方は少ないと思いますが。

  言葉の問題もありましたし、日本人の生徒の2倍は学ばなくてはならないと思いました。日本にまで来て学んでいるのだから、自分の納得できるものを台湾へ持って帰りたかったのです。
台湾に帰国後、台北のヒロタで働きながら独立を考えていました。台中の高雄には、パンと洋菓子を一緒にしているお店ばかりで、洋菓子専門店は当時1軒もありませんでした。ですから、あえて洋菓子専門店を出店して勝負しました。
1995年オペラ開業。独立した時は、1日ケーキが1万円くらいしか売れなかったために、喫茶店へケーキの卸をしながら売り上げを作っていきました。最初は思うようにいきませんでした。それでも、一生懸命頑張りました。
やがて、チャンスが巡ってきました。中秋の名月に台湾では、お世話になった方々に月餅を贈る習慣があります。この時、月餅だけを贈るのではなく、月餅とダックワーズとマロンパイのセットを商品企画して販売したのです。これが大ヒットし、売り上げを大きく伸ばすきっかけになったと思います。

内山  なるほど、日本で学んだことが突破口になったわけですね。

  はい、その通りです。最初の店、「オペラ」はとても小さなお店でしたが、それから移転して1階をお店2階が生菓子の厨房、3階が焼き菓子の厨房となり順調に売上げを伸ばして行きました。
そして、2007年500坪の工場を購入して、そこに「マロン」をオープンしました。「マロン」は、焼き菓子だけしか置いてない店舗で、焼き菓子を中心に製造販売しています。工場スペースがとても広いため、少しずつ設備を増設して生産量を上げ、販路をホテルや台湾新幹線、コンビニと拡大してきました。
今回、リムジンを導入したのは2011 年に更に工場を購入して、その生産性向上と焼成のレベルアップのためにリムジンを導入しました。

内山  リムジンの調子は如何ですか?

  七洋さんのリムジン1号機が私たちの工場に入ったのは、大変光栄なことです。1号機ということで心配な事もありましたが、台湾でもバッケンは有名で、そのブランドと製品の信頼性で購入を決意しました。とにかく非常に調子がいいです。やはり、使いやすさ、ムラ火が無く、安定のある焼成は従業員が本当に使いやすいと喜んでくれて、私の選択にまちがいがなかったと思っております。

内山  紙袋にカタカナで「オペラ」と書いてありますが、何故台湾語で書かれないのですか?

  台湾では日本の製品は品質が良いとみんな思っています。だから日本語で書くことは非常に高級感がでるのです。バッケンもリムジンも素晴らしいオーブンです。日本製は素晴らしい。私の洋菓子の原点は日本にあります。学んだ技術を発揮して、日本の洋菓子を越えたい、そして、台湾で一番の洋菓子店になりたいと思います。

材後記

七洋製作所 代表取締役社長
内山 素行

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