
福島県須賀川市
玉木屋本舗
電話 0248-73-2393
- 店内に入ってすぐアピール満点!
創業宝暦年間1760年。
現在の社長が八代目。材木商から始まり玉飴商、それから和菓子屋へ。
今から60年ほど前に、玉飴の『玉』、材木の『木』から
店名を『玉木屋本舗』にされました。
岩崎 七洋さんとの出会いは、平成16年4月のミニ展(七洋講習会)に参加したことがきっかけでした。当時息子は、和菓子の修行に数年行っており、1年後に戻る予定で、それまでは、家族4人とパートさん2名で営業をしていました。
その時の売上が、店売りで3000万ぐらい。ブライダルの卸を入れると4000万ぐらいだったと思います。
卸の方は、年々売上が減少し、しかも利益率も悪く、まとまった注文が入ると店売りを圧迫するような生産状況でした。
しかし、来年には息子が戻ってくるので、それまで辛抱しようと思っていました。
たまたま開催されていた七洋さんのミニ展へ参加。
その後、七洋さんの営業マンが来られて、店内の死に場所をズバッと指摘。
「息子さんが戻ってくる前に、今よりもっと戻りやすくするためには、死に場所を勢いある場所に変えておくべきだ!」と
考えていた事と全く違う事を言われ、半ば押されながらすぐに店内へ614を導入。
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【上生】 毎日100個完売。
和菓子屋の”顔”である商品。品数が少ないと売れない!
多いとロスがあるが、並べないと売れない!
無理してでも並べると平均して売れるようになった。
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●福俵…¥200
3個入り¥600(ラッピング)。5個箱入り¥1,115。
8個箱入り¥1,754。12個箱入り¥2,650。
(黒豆和三盆)米粉使用。 平日200個。土日300個。
岩崎 店内に焼立て五感を演出し、それと同時に、洋菓子の定番シュー・プリン・半熟チーズの3品を製造試食販売。お客様の目の前で実演販売するので徐々に来客数と売上がアップ。
最初は、和菓子屋に洋菓子という事で抵抗があったのですが、とにかく営業マンの話しを信じてやってみようと決意。
この時点で、不安定な卸を止める。止めることは簡単だが、その分の売上を確保しなければいけないため、死に物狂いで店売りに従事した。
息子が戻り、気立てのいいお嫁さんをもらい、店に更なる勢いがついて来た。
その勢いで、お米の純生和ロールを新商品として出す。お客様に大変好評で生産が追いつかなくなり、614では間に合わないため下取りをしてもらう。
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●純生和ロール(黒豆入り)…¥945
平日100本。土日200本。
- 賑やかなスタッフの皆様
岩崎 また、厨房にある殆ど使用しなくなった、他メーカーのオーブンを処分。
店内と厨房の壁を撤去し、そこにスルーオーブン643ウィンを導入。
今では卸売りがない状況で1億の壁を越えそうです。
また、マルシェ台を平成20年秋に導入。
その時の新商品ダックワーズ系菓子『福俵』をマルシェ台に、えこひいきに並べ、その効果で福俵が育ってきています。
ラッピングは、ちょっとしたプレゼント用。
箱はギフト。歳暮時期、お彼岸、お盆、お正月も箱で売れる。
『福俵』は最初全く売れなかった。しかし、出来立ての試食を欠かさずに行うことで徐々に売れ出す。
今では、マルシェ台のディスプレイ効果のおかげで箱がでるようになり、マルシェ台に陳列するだけで売り切れる毎日。
“あの時、あの営業マンの話しを聞いていなかったら今頃どうなっていたのかな?”とたまに思い出すことがあります。
取材後記
『商売に王道なし』簡単には儲けさせてくれない。
繁盛は苦労と工夫の分だけ得られるという言葉があります。
一生懸命努力しても一瞬の手抜きでダメになる世の中。
商売も耐久レースだと思います。
スタッフの皆さまは、今日という一日の中で目一杯お仕事をされています。
笑顔で活気があり、しかも楽しそうにされている情景を見ていますと、また買いに行きたくなるお客様の気持ちもわかる気がしました。
創業から250年。自店の歴史を更新して行って下さい。

取材
(株)七洋製作所 営業次長
吉安 宏平