「復興に向けがんばっぺ!」

宮城県気仙沼市

(有)菓子舗 うつみ

代表取締役

内海 哲郎 様・榮子 様

宮城県気仙沼市

(有)菓子舗 うつみ

電話 0226-22-8620

内海  私は、昭和38年にひとりで菓子屋を創業しました。
昭和46年には気立てのいい美人と結婚。店舗を構えず卸専門を一筋で、配達は自転車。まさしく自転車操業でした。創業から丸10年が経ち軌道に乗ってきたので昭和49年、気仙沼市内の海岸近くで”内の脇”に本店の店舗と工場を建てました。
店売りに切り替えて順調に業績を伸ばしてきたころの昭和57年、私は胃がんにかかり胃の3分の2を切除、3か月間店を閉店することになりました。
病気のお蔭で、商売と人間関係が深くわかるようになった気がして、努力や工夫、更なる勉強を重ね自分自身が掲げた目標も達成できました。併せて、商売にも自信が付き、平成9年、”海の市場”にテナントで出店(2号店)。
平成10年、”八日町”に店舗のみ出店(3号店)。
平成18年、かねてから考えていた店作りとして、お客様の五感を刺激し、楽しさや面白さ、また、より幸せな気持ちになって貰いたい一心で本店のリニューアルを決行しました。

店舗から見える場所に、バッケンF23Tカラータイプを追加。バッケンもこれで2台目です。”接客は、天下一品”と思っているかあちゃんと、共にさらなる地元から愛される繁盛店になろうと思いました。
平成20年、子育てが一段落した娘が店を手伝ってくれるようになりかなり仕事も助かっていました。
平成23年3月11日、積み重ねてきた3店舗が津波でガレキ化。
津波で、おばあちゃんと娘を亡くしました。職場も家もない。しかし、まわりの被害を受けた方々のことを思うと、まだまだ良いのではないかと悩み続けました。
四十九日の法要後、答えがでました。
俺には、積み重ねてきた信用と従業員の力がある。お金も大事だけど信用も大事。
銀行の信用、それが根底にあるから、かあちゃん力を貸してくれ!と頼んだのです。
再出発だ。また、二人で頑張るんだ!平成23年7月27日、元から働いてくれていた、従業員全員が戻ってきて、3台目のバッケンを入れて再開いたしました。

私は現在、70歳ですがこれからは気仙沼市の復興に貢献した、復興のお菓子を作り続けて行きたいと思います。

吉安  東日本大震災で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災地を初めて訪れた時、こんなに凄い状況だったのかと、口が開いた状態になりました。
その後数回訪れても、テレビや雑誌などで見るのとはまるで違い、今回の地震の大きさが分かりました。内海様、津波で亡くされたおばあさんと娘さんの分まで従業員さんと共に、今まで以上の気仙沼市の活気を作り上げてください。

材後記

(株)七洋製作所 営業次長
吉安 宏平

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