素直にお客様と接することで
お菓子の素晴らしい
本質が見えてくる。

熊本県熊本市

アントルメ菓樹

オーナーシェフ

柴田 博信

フロランタン

内山 柴田様の“一生一品”をご紹介いただけますでしょうか。

柴田 そうですね、いろんな意味で「フロランタン」が私の“一生一品”です。私は「松月堂」という菓子屋の二代目なのですが、父の仕事を継ぎ屋号を「アントルメ菓樹」に変える時に、松月堂の看板菓子である父のカステラと競えるような新しい菓子をつくりたいと思いました。アイデアとして「フロランタン」が思い浮かびましたが、私は一度もつくったことがなかったのです。とにかく“こんな感じ”というようなものを真似てつくってみました。スタッフに食べてもらうと、「柔らかい、歯にくっつく、硬くて歯ごたえがありすぎる、割れたらボロボロこぼれる」と、なかなか厳しい意見をもらいました。フロランタン生地の煮詰め具合を変えたり、パートシュクレの硬さを変えたりして試行錯誤しました。 こうして何度も試作を繰り返すことで「アントルメ菓樹のフロランタン」ができ上がりました。食べやすいスティック状にしたのもスタッフの意見を尊重した結果です。それまでスティック状のフロランタンはありませんでした。

内山 今まで一度もつくったことがないお菓子が看板菓子になるのですね。

柴田 はい、「フロランタン」を看板菓子にできたのも父の菓子づくりを学ぶことで、お客様のための菓子が理解できたからだと思います。私が実家の松月堂に戻った当初はなかなか思うような仕事ができず苦労しました。私が未熟だったからなのですが、スタッフともぎくしゃくし、父ともよく喧嘩しました。とにかく配合もフランス語で書かないと嫌なくらいフランスにかぶれて帰ってきて、自信を持って自分の菓子を店に並べました。ところが売れないんです。父のケーキは古くて、私のケーキはフランス菓子で本物だと思っていましたから、なぜ売れないのか皆目見当がつきませんでした。
 そうすると未熟者の私は売れない理由を都合よく考えました。たとえば「バブルが弾けたから売れない。」とか、一番いけないのは「熊本の人はフランスを知らないんだ。フランスに行ったことがない人は私の菓子がわかるはずがない。」そんな売れない理由を山ほど並べるわけです。どんなに頑張っても父の菓子には追いつきませんでした。
 どれだけ素晴らしい感性と技術を持っているかということよりも、お店という現場でお客さんとしっかりとお話して、お客様が何を求めていらっしゃるのかを心で知ることが一番大切なことだったのです。「お客様の喜ぶ顔が見たい。」そんな基本中の基本が分かるまでに随分と遠回りをしました。「日本人が好むお菓子、さらに熊本の人たちに愛されるお菓子は何か。」そう考え始めると目から鱗が落ちるように父の菓子のよさが分かってきて、私は一生懸命に父の菓子を学びました。そうして父との距離が縮まっていったのです。

内山 私どもと「アントルメ菓樹」様とのご縁は、カステラの講習会がきっかけでした。

柴田 そうでしたね。父がそろそろ私に店をバトンタッチして仕事を辞めようかという時期がありました。まだまだ私は父と一緒に仕事をしたいと思っていましたが、そんな時に七洋さんのカステラの講習会があり、講習会など全く行かない父が珍しく参加したのです。講習会から戻ると「あのオーブン(南蛮窯)なら、もっとやってみようかな。」と目が生き生きとしていました。そんな父を見てとてもうれしかったことを覚えています。父は南蛮窯と出会ったことで、以前にも増して一生懸命カステラの勉強をしました。
 一旦引退しようとした父の成長は、私の成長でもありました。
 そういえば、毎年夏場だけで3万個を売り上げるゼリー商品ができたのも南蛮窯の芯温センサーのおかげでしたね。私たちのすぐそばにいつもいてくれる七洋さんのオーブンに私たちは感謝しています。

材・ライティング

七洋製作所 代表取締役社長
内山 素行(うちやま もとゆき)

小さな頃から空手を学び、その上達とともに空手の魅力に引き込まれる。空手道の全日本大会で3度の日本一となる輝かしい経歴を持つ。空手で会得した相手との技の駆け引きや、間合いの読みはビジネスの極意にも通じる。時代を読み、常に新たな展開を提案する内山氏は、菓子業界で“菓子店の羅針盤”と呼ばれ、菓子づくりを志す職人が認めるオーブン「バッケン」を製造販売する株式会社七洋製作所の代表取締役社長をつとめる。自らの発想でつくりあげたオーブンは、日本の通商産業省が設立したグッドデザイン賞を3回も受賞する快挙を成し遂げた。1956年、日本国 福岡県生まれ。

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