始まりのすべては
「宮崎が好き」

宮崎県宮崎市

パティスリー アンオー

オーナーシェフ

芋生 玲子 様

宮崎県宮崎市

パティスリー アンオー

電話 0985-78-2227

2013年11月22日に故郷の宮崎県宮崎市にアンオーを誕生させたオーナーシェフ芋生様は、オープンから3年間専門店では珍しく「スチームラックオーブン(SRZ-10E)」1台ですべての商品をつくってこられ、3年経った2016年11月に「バッケン」を購入して頂きました。今までのオーブン機種選択の逆パターンで増設頂きました。

市丸 スチームラックオーブン購入のきっかけとその結果を教えて頂けますか。

芋生 きっかけは、東京吉祥寺のアテスウェイ時代の先輩から「いいオーブンだよ」と言われたことがきっかけで、結果は大きな故障もなく日本人に合うお菓子を焼けていますので、良かったです。それに11月に購入したバッケンは、また違った良さがあり商品によって使い分けることができ、より一層美味しいお菓子が焼け焼成力アップができました。

市丸 ありがとうございます。シェフは、最後の10年間東京で仕事をされ様々なコンテストで賞をとられ2012年には、パリで開催された世界大会モンディアル・デ・ザール・シュクレで優勝されましたが、ご自分のお店をつくられる時に東京での選択はなかったのでしょうか。

芋生 ありませんでした。ご存知のように東京に比べ宮崎は九州の南にあり学生時代は何もないと感じていました。しかし、宮崎で頑張っている大人がいたのです。洋服屋さんだったりレストランだったり、その方たちは一所懸命宮崎を盛り上げようとしていたのです。その時、自分もそうなりたいと思うようになりました。
私はたまたまパティシエというお菓子づくりの道を進んできましたので、この力で頑張っている人達と一緒に宮崎を盛り上げたいと思いました。30代のうちに自分のお店を持つのが目標だった私は、迷わず好きな宮崎に帰ってきました。

市丸 厨房の緊張感はどうやってつくっているのですか。

芋生 まだ、緊張感は70点です。私は、27歳まで技術的にも気持ちも、世界大会などとは違う世界にいました。そんな時、このままではいけないと思い、宮崎から3泊4日で東京のお菓子の食べめぐりをして、4日目にお邪魔した最後のお店がアテスウェイでした。
とにかく美味しかったしお店の雰囲気も明るいし、ここしかないと思いその場でお店の方にシェフと合わせて頂くようにお願いしましたが、不在でしたのでその日は会えず、履歴書をお渡し頂けるようお願いして宮崎へ帰りました。後日連絡を頂き再度上京して、電車の中での面接をして頂き、その足で住まいを決め東京での10年間が始まりました。
今でこそ言えますが、本当に厳しくお店での立ち居振る舞い・歩き方そして苦労したのは、訛りを直すように言われたり厳しくされましたが、「絶対に店を辞めない」という気持ちはずっと持っていましたし「ちゃんとやろう」「ちゃんとして辞めないと宮崎には帰れない。そうしないとこのお菓子を宮崎に持って帰れなくなる」と、なぜか分かりませんがそう思っていました。 この10年間が、私の転機で今の自分があることは、間違いありませんので、その時の厳しさが体からも出ているのかもしれませんね。

市丸 今まで以上に専門店も人手不足で難しい大変な時代だと思いますが。

芋生 今回のバッケン購入もお客様にはより美味しい商品を、スタッフには良い機械で生産力を上げて作業効率を上げてあげることを考えました。
しっかりとした商品・お店・スタッフをつくり、多くのお客様に来て頂き、宮崎にもこんなお店があるんだと自慢して頂けるお店にしていきたいです。

材後記

話を伺って強く感じたことは、「宮崎が大好きだ」という思いが分かりました。これからも沢山のファンをつくっていかれることと思います。

(株)七洋製作所 執行役員営業 部長
市丸 隆

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